総持院は高野山の西部、大伽藍の北部に位置し、本山金剛峯寺に隣接する別格本山。阿弥陀如来様を御本尊様としている宿坊です。

總持院のご紹介
高野山
高野山 高野山はおよそ1200年前、紀伊半島の中央。標高約1000mの山上、“八葉の蓮華” み仏の蓮台と呼称されるところ。
弘法大師空海上人によって開創された一山全体を『金剛峯寺』と称される真言密教修行の根本道場です。

東西約4km南北kmの山内には『総本山金剛峯寺』をはじめ、胎蔵曼荼羅を表す「壇上伽藍」金剛界世界を表し、弘法大師ご入定の地である「奥の院」その他大小様々な堂塔寺院が軒をつらね、古くは菅原道真・平清盛や豊臣秀吉・西行や与謝野晶子といった歴史上の人物の遺跡などが今なお残されており、2004年7月認定の世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の中心として世界中の耳目を集めています。

また、国の重要文化財・国宝に限って云えば、そのおおよそ1/3は、高野山 霊宝館で貴重な仏像・仏画をはじめとした文化遺産を保存管理しています。
高野山
『総本山金剛峯寺』の西隣、「壇上伽藍」を前に控えた、弘法大師草創の地とも云われ往古の高野山を思わせる寺院のみが立ち並ぶ、閑静な本中院谷に位置しています。
總持院は平安時代、久安年間弘法大師から二十八代目の山主、行恵総持坊の開基の古刹。代々の住職が同地において守り伝えて今に至っています。 細川家・相良家・土方家・亀井家・伊達石見守家等々、日本国中に広がる檀縁の地としては江戸・大阪・京都や肥後熊本、備後、伊勢菰野、などの縁地は申すに及ばず始祖、行恵総持坊出生の紀州伊都かつらぎ郷や河内・和泉の地からも今なお先祖の回向供養の所として参詣されています。

昭和二十一年には囲碁タイトル本因坊継承戦が開催されました。この時の本因坊戦は、橋本宇太郎本因坊VS岩本薫挑戦者によって太平洋戦争の慰霊を込めて開催され、江戸時代以来数回しか開かれたことがないという「三番勝負」と云う珍しい継承戦となり、昭和の名勝負と云われています。この時は大庭園の中「 桜の間 リンク」で開催されました。
平成十六年には再び張栩本因坊と依田挑戦者に依って 「 方丈の間 リンク」で戦われました。
また、平成二十一年総本山金剛峯寺で開催されました将棋 名人戦では羽生善治名人は 「 方丈の間 リンク」、郷田真隆挑戦者は 「 中書院 リンク」・内藤國雄九段は 「 桜の間 リンク」 を宿舎として来院逗留されました。

總持院は以下の寺院を合併しています
■ 正塔院
お大師様の後を継ぎ、高野山第2世として高野山の開拓に当たった、
真然大徳の開基にして仁和3年(887)の創建です。
■ 龍城院
新義真言宗の開祖、興教大師大師覚鑁の開基です。
■ 理性院
惟信法親王の開基。法親王は三条天皇の第三皇子であり、応徳2年(1085)に創建されました。
白藤阿徳随縁の庭屏風


旅サライ特集に掲載されました
歌人・水原紫苑さんと共に 「サライ増刊号 旅サライ(小学館:平成22年2月25日発売)」の特集で、歌人・水原紫苑さんにご宿泊頂きました。

水原紫苑さん 略歴:
高校生の頃から短歌の才能を認められ、第一歌集『びあんか』で現代歌人協会賞を受賞したのちは、河野愛子賞、山本健吉文学賞、若山牧水賞などを受賞し、歌人としての地位を築く。早稲田大学ではフランス演劇を専攻。古典演劇への関心から能、歌舞伎に造詣が深い。美人で和服の似合う歌人として知られる。

* 聖なる高野山と庶民的大阪を旅する2泊3日
一日目 大阪・難波 → 南海電鉄極楽橋駅 → 高野山・総持院 泊
高野山の宿坊の中でも金剛峯寺に最も近く、閑静で格式ある宿坊として
総持院をご利用頂きました。
二日目 高野山 → 大阪・難波 → 難波オリエンタルホテル
宿坊で早朝勤行や写経を体験した後、金剛峯寺、奥の院を参拝。
夕方大阪に戻り、道頓堀で大阪の夜を楽しむ。
三日目 通天閣・新世界 → 新大阪駅
通天閣や大阪の台所・黒門市場など、庶民的な大阪を散歩。

お泊まりのご予約はこちらからどうぞ

宿坊へのご宿泊予約はこちら


宿泊プラン一覧 予約照会・キャンセル